【考察】”柱”になった順番と年齢【10人】
今回の考察は、”柱”になった順番と年齢です。
悲鳴嶼行冥、宇髄天元、胡蝶カナエ、冨岡義勇、不死川実弥、煉獄杏寿郎、胡蝶しのぶ、時透無一郎、伊黒小芭内、甘露寺蜜璃、の10名について、原作・外伝等の記述から考察します。
柱になった順番
結論からいうと、
- 悲鳴嶼行冥(19)
- 宇髄天元(15~19)
- 胡蝶カナエ(17以下)
- 冨岡義勇(17)
- 不死川実弥(16~17)
- 胡蝶しのぶ(15)
- 煉獄杏寿郎(18)
- 時透無一郎(12)
- 伊黒小芭内(19)
- 甘露寺蜜璃(18)
の順番です。()内は柱になったときの”おおよその満年齢”です。
※冨岡義勇と不死川実弥は同年齢で誕生日も近い(2/8と11/29)です。もし義勇さんの方が10ヶ月ほど年上なら、不死川さんの就任は16歳の可能性が高くなります。
ただし、原作と『公式ファンブック鬼殺隊見聞録』の間で、冨岡義勇の就任時期について少し矛盾があります。
細かい内容は冨岡義勇のところで述べますが、結論として「冨岡義勇は不死川実弥よりちょっとだけ早く就任した」とさせてもらいました。
「○年前」の基準に関しては、最終回を基準にして、炭治郎が隊士になったのを1年3ヶ月前、炭治郎と冨岡義勇が最初に出会ったのを3年4ヶ月前とします。
また炭治郎と禰豆子が連れてこられた、”柱合裁判”が行われた”柱合会議”は、「前回と顔ぶれが変わっていない」というお館様の発言から、全員就任してから半年以上は経っている、と解釈します。
この順番になった理由
1.”岩柱”悲鳴嶼行冥(ひめじまぎょうめい)
悲鳴嶼さんは、8年前の19歳のときに”岩柱”になりました。
これは原作第16巻で記述があるので確定です♪
関連記事→【研究】”岩柱”悲鳴嶼行冥さん
2.”音柱”宇髄天元(うずいてんげん)
宇髄さんは現在23歳。
いつ”音柱”になったのかは記述がありません。ですが、4年以上前に不死川さんが”風柱”に就任した柱合会議では、既に”音柱”でした。
結婚した15歳の頃(8年前)はまだ”忍”だったので、悲鳴嶼さんよりは後です。15~19歳の間に鬼殺隊に入隊して”音柱”まで上り詰めたと考えられます。
カナエさんとどっちが先かは明確な根拠がありません。
年齢・経歴を考えると宇髄さんが先の可能性が高そうですが、カナエさんが先の可能性もあります。むしろストーリー的にはそっちの方が面白そうかも。
3.”花柱”胡蝶カナエ(こちょうかなえ)
カナエさんは17歳で亡くなったので、”花柱”になったのは17歳以前です。
カナエさんの死後、しのぶさんが14歳で蝶屋敷を継ぎます。しのぶさんは現在18歳。カナエさんが亡くなったのは4年以上前になります。
カナエさんは生きていれば現在21~22歳で、不死川さんや義勇さん、伊黒さんとほぼ同じ年齢ですね。
年齢に関する情報はそれ以上ないですが、カナエさんは悲鳴嶼さんに助けられて鬼殺隊を志しました(公式スピンオフ小説『鬼滅の刃-片羽の蝶』第1話に詳細あり)。
しのぶさんとの年齢差(約3歳)を考えると、修行を始めたのは早くても12~13歳頃だと考えられます。
17歳の頃には既に就任しているので、修行を始めてからかなり短期間で”花柱”となったようです。
関連記事→【感想】『鬼滅の刃-片羽の蝶』【公式スピンオフ小説2】
アニメ版「立志編」第25話を見ると、栗花落カナヲを拾ったときすでに”花柱”であったことが隊服のボタンの色(金色)からわかります。
このときのカナヲの年齢は不明ですが、胡蝶姉妹との年齢差から12歳以下は確定なので、10~12歳ぐらいとすると、早ければ15歳で既に”花柱”になっていた計算となります。
また15歳で”花柱”になったとすると、そのとき宇髄さんは16~17。どちらが先に”柱”になったのかは、やはり微妙なところです。
宇髄さんと順番が入れ替わる可能性もありそうです。
4.”水柱”冨岡義勇(とみおかぎゆう)
義勇さんの就任時期は、解釈が割れるところです。
原作から、不死川実弥より前に”水柱”になっています。不死川実弥が就任したときの柱合会議に、ちゃんと義勇さんがいるからです。
現在21歳なので、カナエさんの生きていた4年以上前の17歳の頃には既に”水柱”となっていました。
ここまではもう確定でいいはず。
『公式ファンブック-鬼殺隊見聞録』にある他との矛盾
『公式ファンブック鬼殺隊見聞録』には「炭治郎と禰豆子に出会ったとき義勇は柱になったばかり」とあります。3年4ヶ月ほど前のことですよね。
でも、カナエさんが生きている4年以上前の不死川さんが”風柱”に就任した柱合会議では、ちゃんとそこに義勇さんがいるんですよ。
また、『鬼滅の刃・外伝』「冨岡義勇外伝」では、しのぶさんは「”蟲柱”になって間もない」とあります。
このお話は義勇さんが「炭治郎と禰豆子に出会った」少しあとの時期にあたり、季節は冬。しのぶさんは16歳になりたてぐらいで、14歳のときにカナエさんが亡くなってから1年以上経っている計算です。
ということは炭治郎と禰豆子に出会ったとき、カナエさんがいた”柱合会議”からも1年以上経っているので、義勇さんも”水柱”になって1年以上経ってるはずなんです。
「炭治郎と禰豆子に出会ったとき義勇は柱になったばかり」と言えないこともないですが、ぎりぎりかなと思います。
なので矛盾しないよう、冨岡義勇の就任は「できるだけ最近」ということで解釈させてもらって、「冨岡義勇は不死川実弥よりちょっとだけ早く就任した」としました。
そのため、不死川さんよりは先に就任したけれど、それほど時期に差はないとします。
宇髄さん・カナエさんより後になった理由は明確な根拠がありませんが、上記の事情もふまえて後だと判断しました。
13歳で最終選別に臨んだと読み取れるので、入隊してから4年ほどで”柱”になった計算です。
5.”風柱”不死川実弥(しなずがわさねみ)
不死川さんが”風柱”になったときにいた”柱”の面々は、第19巻159-160ページを参考にすると、
- 悲鳴嶼さん
- 宇髄さん
- 義勇さん
- カナエさん
です。本来なら槇寿郎さんもいたと思いますが省きます。
カナエさんが生きているので、4年以上前に就任したと考えられます。16~17歳ぐらいで柱になった計算です。義勇さんより年下が確定なら、16歳の可能性が高くなります。
兄弟たちとの年齢差から、母親を失ったのは14歳前後だと思われ、そのあとしばらくしてから修行を始めたとしても、2~3年で”風柱”に就任した計算になります。
関連記事→【研究】”風柱”不死川実弥さん
6.”蟲柱”胡蝶しのぶ(こちょうしのぶ)
『鬼滅の刃・外伝』「煉獄杏寿郎外伝」より、煉獄さんが”炎柱”として認められたときの”柱”は、
- 悲鳴嶼行冥
- 不死川実弥
- 宇髄天元
- 胡蝶しのぶ
- 冨岡義勇
の五人です。
なので、煉獄さんより先にしのぶさんが”蟲柱”になっています。
また同じく『鬼滅の刃・外伝』「冨岡義勇外伝」より、義勇さんが炭治郎たちと出会ったほぼ同時期(3年ぐらい前)、しのぶさんは”柱になってまだ日が浅い”とされています。
4年以上前にカナエさんが亡くなってから14歳で「蝶屋敷」を受け継ぎ、それから1年ほど経った15歳の頃に、しのぶさんは”蟲柱”に就任した計算になります。
姉を亡くしてからのの1年間でかなりの訓練を積んだということが想像できますね。入隊したときの年齢も若そうですが、それでも3~4年ほどで”柱”まで上り詰めたことになります。
そしてしのぶさんが”蟲柱”となった約1年半後に、煉獄さんが”炎柱”になりました。
7.”炎柱”煉獄杏寿郎(れんごくきょうじゅろう)
『鬼滅の刃・外伝』「煉獄杏寿郎外伝」より、煉獄さんが”炎柱”として認められたときの”柱”は、
- 悲鳴嶼行冥
- 不死川実弥
- 宇髄天元
- 胡蝶しのぶ
- 冨岡義勇
の五人でした(槇寿郎さんはこの前後で引退したと考えます)。
桜の季節ということと、甘露寺さんを教えた期間や年齢差を考えて、19歳になる直前の18歳の春に”炎柱”になったと考えます。
煉獄さんは”柱”になるまで5年近くかかってそうですが、”柱”になる平均年数は5年だそうです。着実に実力と指導力を磨いてきた感じがします。
というわけで、炭治郎が岩を斬れなくて焦っている頃、炭治郎の修行2年目の春に、煉獄さんが”炎柱”になった計算です。
柱として活動したのは1年数ヶ月ということになります。
関連記事→【研究】”炎柱”煉獄杏寿郎さん
8.”霞柱”時透無一郎(ときとうむいちろう)
時透くんの回想で、煉獄さんに「柱としてともに頑張ろう」と言われています。
煉獄さんが”炎柱”になったときにはまだいないので、煉獄さんよりは後になります。
11歳の夏に景信山で死にかけていたのを救助される。初めて刀を握って(※)2ヶ月で柱になった。現在14歳で誕生日が8月、煉獄さんよりはあと。
これらを踏まえて、”霞柱”になったのは13歳になる前後、おそらく12歳のときです。炭治郎が岩を斬れなくて焦っている頃ですね。
約2年間で治療・療養・修行を経て”霞柱”になった計算です。
天才肌と言われているので、修行期間も短めだったと想像できます。よって春に煉獄さんが”柱”になったあと、春~夏にかけて”柱”に就任したと考えます。
※この「初めて刀を握って」というのが、「隊士となって日輪刀を手に入れて」からなのか、「生まれて初めて刀を触って」なのかは本編ではあいまいなところです。『公式ファンブック鬼殺隊見聞録』では「修行を始めて二ヶ月で”柱”になった」とあります。が、このファンブックは間違った記述が多いので、ちょっと微妙なところです。
『公式ファンブック鬼殺隊見聞録・弐』によると、神崎アオイと同じときに選別を受けたらしいので、”最終選別”はちゃんと通過しています。
またここから推測できることとして、甘露寺さんも近い時期に選別を受けていますが違う回の選別のようなので、やはり”最終選別”は年に複数回開催されている、と言えそうです。
なお、『公式ファンブック鬼殺隊見聞録』にある出身地は間違いで、正しくは景信山です。
9.”蛇柱”伊黒小芭内(いぐろおばない)
順番的に煉獄さんの次か、時透くんの次になります。
煉獄さんと時透くんの就任時期は近そうなので、伊黒さんはやはり時透くんの次だと判断しました。
19歳頃に”蛇柱”に就任したと考えられます。
12~13歳頃に当時の炎柱に保護されるまで箸より重いものを持ったことがない状態だったので、柱になるまではかなり苦労したんじゃないかなあと思います。
それにしても煉獄槇寿郎さん、当時は炎柱としてきちんと仕事してたんですね。
10.”恋柱”甘露寺蜜璃(かんろじみつり)
伊黒さんと初めて出会った際のエピソードから、伊黒さんよりは後になるので、最も新しく”柱”になったのが甘露寺さんになります。
- 半年ぶりの柱合会議で「顔ぶれが変わっていない」というお館様のセリフ
- 現在19歳という甘露寺さんの年齢
- 17歳でお見合いが破談してしばらくしてから修行を始めた
- 半年で最終選別合格
これらの情報から、
- 17歳になる年の初めにお見合いをして破談
- その後17歳ジャストぐらい(初夏)に修行を始める
- その年の冬に17歳で最終選別に合格
- 春の柱合会議あたりで煉獄さんが柱になる
- その次の柱合会議(半年後ぐらいなので秋)までに、甘露寺さんは18歳で柱になる
と解釈しました。
ただこれだと隊士になって1年目で柱になったことになってしまいますが……。
でも戦い方を見ているとたしかに、稀有な才能と経験値の不足の両方を持っているように感じます。
煉獄さんも『公式ファンブック鬼殺隊見聞録・弐』の「柱相関言行録」で甘露寺さんについて「才能が凄い」と評しており、『鬼滅の刃・外伝』「煉獄杏寿郎外伝」では「甘露寺はいずれ俺をも越える剣士になるだろう」と言っています。
お館様も本編中で才能を褒めているシーンがあるため、かなりの逸材と目されていたのでしょう。
年齢もまだ若いので、もっと時間があればもっともっと洗練されて柱として成長したと思われます。
関連記事→【研究】”恋柱”甘露寺蜜璃さん
まとめ
8年前に悲鳴嶼さんが19歳で柱になったのは、本編中にも出てくるので確定です。
次に、宇髄さん、カナエさん。それから義勇さんが17歳ぐらいで就任、次に不死川さんが16~17歳ぐらいで柱に。
義勇さんについては解釈の分かれるところですが、本編やファンブックなどの情報を総合するとカナエさんの次で、義勇さんと不死川さんはそれほど就任時期に差が無いと考えます。
次がしのぶさん。15歳ぐらいで就任。竃門家襲撃事件よりちょっと前ぐらいの時期です。
続いて煉獄さんが18歳で、次に時透くん12歳、伊黒さん19歳ぐらいで柱に。この三人は炭治郎が岩を斬れなくて焦っている頃に就任しました。
最後に甘露寺さんが18歳で柱になったと考えられます。炭治郎が”最終選別”を受けるより少し前ぐらいですね。
18歳前後で柱になる人が多いようです。