研究・考察

【考察】”柱”になった順番と年齢【10人】

藤村咲妃
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 今回の考察は、”柱”になった順番と年齢です。

 対象は悲鳴嶼行冥、宇髄天元、胡蝶カナエ、冨岡義勇、不死川実弥、煉獄杏寿郎、胡蝶しのぶ、時透無一郎、伊黒小芭内、甘露寺蜜璃、の10名。

 原作・外伝・アニメ等、誰でも見られる内容から考察します。

柱になった順番

さっそく結論を書きます。

  1. 悲鳴嶼行冥(19)
  2. 宇髄天元(15~19)
  3. 胡蝶カナエ(17以下)
  4. 冨岡義勇(17)
  5. 不死川実弥(16~17)
  6. 胡蝶しのぶ(15)
  7. 煉獄杏寿郎(18)
  8. 時透無一郎(12)
  9. 伊黒小芭内(19)
  10. 甘露寺蜜璃(18)

の順番になります。()内は柱になったときの”おおよその満年齢”です。

補足事項

 原作と『公式ファンブック鬼殺隊見聞録』の間で、冨岡義勇の就任時期について少し矛盾があります。

 細かい内容は冨岡義勇のところで述べますが、「冨岡義勇は不死川実弥よりちょっとだけ早く就任した」とすることで矛盾を解決させています。

 最終決戦時の年齢について、無一郎くんは14歳、甘露寺さんは19歳で考えています。もし甘露寺さんが最終決戦のときに20歳になっていたとしても、順番は変わりません。

 「○年前」の基準に関しては、最終回を基準にして、炭治郎が隊士になったのを1年3ヶ月前、炭治郎と冨岡義勇が最初に出会ったのを3年4ヶ月前とします。

 また炭治郎と禰豆子が連れてこられた、”柱合裁判”が行われた”柱合会議”は、「前回と顔ぶれが変わっていない」というお館様の発言から、全員就任してから半年以上は経っている、と解釈します。

この順番になった理由

1.”岩柱”悲鳴嶼行冥(ひめじまぎょうめい)

 悲鳴嶼さんは、8年前の19歳のときに”岩柱”になりました。これは原作第16巻で記述があるので確定です。

関連記事→【研究】”岩柱”悲鳴嶼行冥さん

2.”音柱”宇髄天元(うずいてんげん)

 宇髄さんは現在23歳。いつ”音柱”になったのかは記述がありません。

 けれども、4年以上前に不死川さんが”風柱”に就任した柱合会議では、既に”音柱”だったので、不死川さんより先は確定です。

 そして結婚した15歳の頃(8年前)はまだ”忍”だったので、悲鳴嶼さんよりは後です。

 これらから、宇髄さんは15~19歳の間に鬼殺隊に入隊して”音柱”まで上り詰めた計算になります。

 もともと戦闘力があるため、入隊はすぐできそうですし、性格的にも背景的にも宇髄さんは最短での「柱」を目指しそうです。

 カナエさんとどっちが先かは明確な根拠がありません。

 年齢・経歴を考えると、宇髄さんとカナエさんなら、宇髄さんが先の可能性が高そうです。ただ、カナエさんが先の可能性も残っており、むしろストーリー的にはそっちの方が面白そうかも。

 義勇さんと宇髄さんのどちらが先かは、義勇さんと実弥さんの就任時期が近いと考えているため、義勇さんよりは宇髄さんが先の可能性が高いです。

関連記事→【研究】”音柱”宇髄天元さん【派手を司る祭の神】

3.”花柱”胡蝶カナエ(こちょうかなえ)

 カナエさんは17歳で亡くなったので、”花柱”になったのは17歳以前です。

 現在18歳のしのぶさん、カナエさんの死後14歳で蝶屋敷を継いでいます。なので、カナエさんが亡くなったのは4年以上前です。

 またこのことから、しのぶさんとの年齢差は最低でも3歳あることが分かるため、 カナエさんは生きていれば現在21~22歳だと分かります。不死川さんや義勇さん、伊黒さんとほぼ同じ年齢ですね。

 年齢に関する情報はそれ以上ないですが、カナエさんは悲鳴嶼さんに助けられて鬼殺隊を志しました(公式スピンオフ小説『鬼滅の刃-片羽の蝶』第1話に詳細あり)。

 胡蝶姉妹の見た目や悲鳴嶼さんの年齢などから、修行を始めたのは早くても12~13歳頃だと思われます。17歳の頃には既に”花柱”となっているので、かなり短期間で修業を終えて階級もあげたようです。

 アニメ版「立志編」第25話での隊服のボタンの色(金色)から、栗花落カナヲを拾ったときすでに”花柱”だったことがわかります。

 このときのカナヲや胡蝶姉妹の年齢は不明です。カナヲの生まれ育った環境や見た目を考えると、かなり幼いときに売られてそうです。10歳ぐらいで売られる子が多いらしいので、もしカナヲが当時10歳なら、カナエさんは15歳頃には既に”花柱”になっていた計算となります。

宇髄さんとどっちが先か問題が残る

 15歳で”花柱”になったとして、そのとき宇髄さんは16~17。どちらが先に”柱”になったのかは、やはり微妙なところです。

 もしカナエさんが13~14歳ぐらいで”花柱”になっていれば、宇髄さんとの順番はかなりの確率で入れ替わってしまいます。宇髄さんと順番が入れ替わる可能性は十分ありそうです。

4.”水柱”冨岡義勇(とみおかぎゆう)

 義勇さんの就任時期は、解釈が割れるところです。

 原作から、不死川実弥より前に”水柱”になっています。不死川実弥が就任したときの柱合会議に、ちゃんと義勇さんがいるからです。そのため、4年以上前の17歳の頃には既に”水柱”となっていたことがわかります。

 ここまではもう確定でいいはず。

『公式ファンブック-鬼殺隊見聞録』にある他との矛盾

 『公式ファンブック鬼殺隊見聞録』には「炭治郎と禰豆子に出会ったとき義勇は柱になったばかり」とあります。

 その少しあとの時期にあたる『鬼滅の刃・外伝』「冨岡義勇外伝」は、義勇さんが「炭治郎と禰豆子に出会った」少しあとの時期で、季節は冬。しのぶさんは”蟲柱”になりたての16歳ぐらい

 しのぶさんの年齢から、カナエさんが亡くなって1年以上は経っています。

 カナエさんがまだ生きているとき、義勇さんも”柱”として柱合会議に参加し、そこに不死川実弥が”風柱”とし就任してきた描写が本編にあります。

 なので炭治郎と禰豆子に出会ったとき、義勇さんも”水柱”になってから1年は経ってるはずなんです。

 ぎりぎり1年経ってないと考えて「炭治郎と禰豆子に出会ったとき義勇は柱になったばかり」と言えないこともないですが、本当にぎりぎりかなと思います。

 なので矛盾しないよう、冨岡義勇の就任は「できるだけ最近」と解釈して、「冨岡義勇は不死川実弥よりちょっとだけ早く就任した」としました。そのため、不死川さんよりは先に就任したけれど、それほど時期に差はないとします。

 本編には宇髄さん・カナエさんと”柱”になった順番を確定できるような記述はありませんが、総合的に判断してふたりよりは後だと判断しました。

 義勇さんは13歳で最終選別に臨んだと読み取れるので、入隊してから4年ほどで”柱”になった計算です。

関連記事→【研究】”水柱”冨岡義勇さん【心に水面を】

5.”風柱”不死川実弥(しなずがわさねみ)

 不死川さんが”風柱”になったときにいた”柱”の面々は、第19巻159-160ページを参考にすると、

  • 悲鳴嶼行冥
  • 宇髄天元
  • 冨岡義勇
  • 胡蝶カナエ

です。煉獄槇寿郎さんもいたと思いますが、ここでは省きます。

 カナエさんが生きているので、4年以上前に就任したと考えられます。16~17歳ぐらいで柱になった計算です。義勇さんより年下が確定なら、16歳の可能性が高くなります。

 兄弟たちとの年齢差から、母親を失ったのは14歳頃だと思われます。そのあとしばらくしてから修行を始めたとしても、2~3年で”風柱”に就任した計算になります。

6.”蟲柱”胡蝶しのぶ(こちょうしのぶ)

 『鬼滅の刃・外伝』「煉獄杏寿郎外伝」より、煉獄さんが”炎柱”として認められたときの”柱”は、

  • 悲鳴嶼行冥
  • 不死川実弥
  • 宇髄天元
  • 胡蝶しのぶ
  • 冨岡義勇

の五人です。

 なので、煉獄さんより先にしのぶさんが”蟲柱”になっています

 また同じく『鬼滅の刃・外伝』「冨岡義勇外伝」より、義勇さんが炭治郎たちと出会ったほぼ同時期(3年ぐらい前)、しのぶさんは”柱になってまだ日が浅い”とされています。

 4年以上前にカナエさんが亡くなってから14歳で「蝶屋敷」を受け継ぎ、それから1年ほど経った15歳の頃に、しのぶさんは”蟲柱”に就任した計算になります。

 姉を亡くしてからの1年間でかなりの訓練を積んだということが想像できます。入隊したのも早そうですが、それでも”隊士”となってから3~4年ほどで”柱”まで上り詰めた計算です。そしてしのぶさんが”蟲柱”となった約1年半後に、煉獄さんが”炎柱”になりました。

関連記事→【研究】”蟲柱”胡蝶しのぶさん【真面目な努力家】

7.”炎柱”煉獄杏寿郎(れんごくきょうじゅろう)

 『鬼滅の刃・外伝』「煉獄杏寿郎外伝」より、煉獄さんが”炎柱”として認められたときの”柱”は、

  • 悲鳴嶼行冥
  • 不死川実弥
  • 宇髄天元
  • 胡蝶しのぶ
  • 冨岡義勇

の五人でした(槇寿郎さんはこの前後で引退したと考えます)。

 桜の季節ということと、甘露寺さんを教えた期間や年齢差を考えて、19歳になる直前の18歳の春に”炎柱”になったと考えます。

 煉獄さんは”柱”になるまで5年近くかかってそうですが、コソコソ噂話によると”柱”になるまでの平均年数は5年だそうです。焦らずじっくりと、着実に実力と指導力、”柱”として求められる総合的な力を磨いてきた感じがします。

 というわけで、炭治郎が岩を斬れなくて焦っている頃、炭治郎の修行2年目の春に、煉獄さんが”炎柱”になった計算です。柱として活動したのは1年数ヶ月ということになります。

8.”霞柱”時透無一郎(ときとうむいちろう)

 時透くんの回想で、煉獄さんに「柱としてともに頑張ろう」と言われています。煉獄さんが”炎柱”になったときにはまだいないので、煉獄さんよりは後になります。

  • 11歳の夏に景信山で死にかけていたのを救助される
  • 初めて刀を握って(※)2ヶ月で柱になった
  • 最終決戦時点(冬)頃は14歳で誕生日は8月
  • 煉獄さんよりはあと

 これらを踏まえて、”霞柱”になったのは13歳になる前後、おそらく12歳のときです。炭治郎が岩を斬れなくて焦っている頃ですね。

 春に煉獄さんが”柱”になったあと、春~夏にかけて”柱”に就任したと考えます。

 約1年半~2年間で、治療・療養・修行・最終選別を経て”霞柱”にまでなった計算です。まだ怪我も癒えない時期から、あまね様の見守る中で剣術稽古をしている様子が、アニメ版「刀鍛冶の里編」で描かれています。

※この「初めて刀を握って」というのが、「隊士となって日輪刀を手に入れて」からなのか、「生まれて初めて刀を触って」なのかは本編ではあいまいなところです。

 公式ファンブック鬼殺隊見聞録』では「修行を始めて二ヶ月で”柱”になった」とあります。が、このファンブックは間違った記述が多いので、ちょっと微妙なところです。なお、このファンブックにある出身地は間違いで、正しくは景信山です(2023年現在は修正済み)。

アニメ版「刀鍛冶の里編」で、”霞柱”の隊服を着た無一郎くんが、前任の刀鍛冶である鉄井戸さんと話すシーンは、紅葉の舞い散る秋でした。これがほんの少し前の出来事なのか一年前の出来事なのかははっきりしていません。

 『公式ファンブック鬼殺隊見聞録・弐』によると、神崎アオイと同じときに選別を受けたらしいので、”最終選別”はちゃんと通過しています。

 また、甘露寺さんも近い時期に選別を受けていますが違う回の選別のようなので、やはり”最終選別”は年に複数回開催されている、と言えそうです。

9.”蛇柱”伊黒小芭内(いぐろおばない)

 煉獄杏寿郎さんが”炎柱”に就任した時にはいなかったので、煉獄さんよりあとは確定です。順番的に煉獄さんの次か、時透くんの次になります。

 時透くんの経歴から、煉獄さんと時透くんの就任時期はあまり離れていないはずなので、伊黒さんはやはり時透くんの次だと判断しました。

 甘露寺さんの就任時期や”柱合会議”の時期を考えると、伊黒さんは20歳になる直前、19歳のときに”蛇柱”に就任したと考えられます。

 12~13歳頃に当時の炎柱である煉獄槇寿郎さんに保護されるまで、箸より重いものを持ったことがない状態だったので、隊士になるまではかなり苦労したんじゃないかなあと思います。

10.”恋柱”甘露寺蜜璃(かんろじみつり)

 伊黒さんと初めて出会った際のエピソードから、伊黒さんよりは後になるので、最も新しく”柱”になったのが甘露寺さんになります。

  • 半年ぶりの柱合会議で「顔ぶれが変わっていない」というお館様のセリフ
  • 現在19歳という甘露寺さんの年齢
  • 17歳でお見合いが破談してしばらくしてから修行を始めた
  • 半年で最終選別合格

これらの情報から、

  • 17歳になる年の初めにお見合いをして破談
  • その後17歳ジャストぐらい(初夏)に修行を始める
  • その年の冬に17歳で最終選別に合格
  • 春の柱合会議あたりで煉獄さんが柱になる
  • その次の柱合会議(半年後ぐらいなので秋)までに、甘露寺さんは18歳で柱になる
  • 「刀鍛冶の里編」~「最終決戦」時は19歳

と解釈しました。

 ただこれだと隊士になって1年目で柱になったことになってしまいますが……。でも戦い方を見ているとたしかに、稀有な才能と経験値の不足の両方を持っているように感じます。

 もし最終決戦時に20歳になっている場合でも、お見合い破談が原作どおり17歳のとき、修行開始年齢が17~18歳となるだけなので、順番は入れ替わりません。

関連記事→【研究】”恋柱”甘露寺蜜璃さん

まとめ

 8年前に悲鳴嶼さんが19歳で柱になったのは、本編中にも出てくるので確定です。次に宇髄さん、カナエさん。それから義勇さんが17歳ぐらいで就任、次に不死川さんが16~17歳ぐらいで柱に。

 義勇さんについては解釈の分かれるところですが、本編やファンブックなどの情報を総合すると、カナエさんよりあとになります。義勇さんと不死川さんでは、義勇さんが先ですが、就任時期にはそれほど差が無さそうです。

 次がしのぶさん。15歳ぐらいで就任。竃門家襲撃事件よりちょっと前ぐらいの時期です。

 続いて煉獄さん18歳、次に時透くん12歳、伊黒さん19歳が柱に。この三人は炭治郎が岩を斬れなくて焦っている頃に就任しました。

 最後に甘露寺さんが18歳で柱になったと考えられます。炭治郎が”最終選別”を受けるより少し前ぐらいですね。

 18歳前後で柱になる人が多いようです。

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