【研究】鬼舞辻無惨
言わずと知れた鬼の始祖。1000年前から生きてます。
初登場は第2巻。
本編では3人の人間に擬態して生活する様子が描かれています。
以下、最終話までのネタバレ及び外伝・ファンブック等の内容を含みますので、未読の方はご注意ください。
CVは関俊彦さん。「鬼舞辻無惨」指定オーディションでの採用でした。
鬼舞辻無惨の略歴
無惨さまが生まれたのは約1000年前の平安時代。貴族階級の出身だったと考えられます。京の都で暮らしていたのかそれとも地方にいたのかは、定かではありません。
人間から鬼へ
1000年前、無惨さまは生まれてすぐに仮死状態となり、そのまま火葬されそうになります。すんでのところで息を吹き返したものの、病弱な体質のために20歳まで生きられないと言われていました。
「善良な医者」が処方した薬を服用していましたが、身体は良くなりませんでした。精神的にもバランスを崩してしまった無惨さまは、弱った体をひきずりながらもなたを振り下ろし、医者を殺してしまいます。
このあたりの描写は、アニメ版「刀鍛冶の里編」で詳しく描かれています。
医者を殺した後、無惨さまは薬が作用していることに気づきます。
人を喰らうことに抵抗はなかったものの、無惨さまは自分の身体が「日光」に負けてしまうことが耐えられませんでした。
医者の残した処方箋を調べると、材料に「青い彼岸花」が使われていることが分かったものの、「青い彼岸花」がどこにあるものなのか、つくれるものなのか、ということがどうしても分かりませんでした。
以降、無惨さまは1000年間、日光を克服することを目的に「青い彼岸花」を探し続けています。
「産屋敷家」との関わり
産屋敷家とは同じ一族にあたり、特に産屋敷耀哉とは顔立ちが瓜二つとされています。髪型や目が違うので、言われてもなかなかそっくりには見えませんけどね。
「善良な医者」とは何者か?
詳しいことは何も分かっていません。
『鬼殺隊見聞録・弐』「大正コソコソ噂話」によると、医者は東京に住んでいたとされており、その周辺も無惨さまは探し回ったそうです。
戦国時代に討伐されかける
戦国時代に「日の呼吸」の使い手である継国縁壱(つぎくによりいち)に討伐されかけます。わずかな肉塊となって逃げのび、かろうじて生き延びました。
この後、無惨さまはしばらく姿を隠します。肉体の回復を図りながら縁壱の死を待ったと見られます。
無惨さまに付き従っていた珠世さんは、無惨が力を大幅に失ったことで一時的に支配から外れ、自分の意思で肉体を改造し、完全に無惨の支配から脱却しました。無惨さまから離れてからは人を食べていません。
縁壱の死後、無惨さまは「日の呼吸」の型を知るものを、配下の黒死牟とともに殺して回り、鬼殺隊を壊滅状態に追い込んでいます。
江戸時代
「強い鬼を十二体ほどつくりたい」と言って猗窩座を勧誘しました。
この頃に「十二鬼月」を創設したようです。
無惨さまが語る「鬼ができること」
単行本第9巻で無惨さまが語ったところでは、鬼は、
- 血の種類
- 病気
- 遺伝子
など、人間に分からないことが判別できるそうです。
また実力のある”柱”などは他の人間と違うと分かるものの、それ以外の隊士などはほとんど、普通の人間との違いが分からないそうです。
無惨のコンプレックス?
第2巻で、無惨は一般人に激高して血を与え続け、細胞を破壊して殺してしまいます。
その際一般人がかけていた言葉が
「青白い顔しやがって」「今にも死にそうじゃねえか」
でした。
この言葉に対して、無惨さまが激しく反応します。
「青白い」「病弱」「長く生きられない」「死にそう」という単語を無惨は自ら出してきて、「違う違う違う違う」「私は限りなく完璧に近い生物だ」と発言しています。
「青白い」「死にそう」などの単語はきっと無惨が人間の頃から言われてきたセリフだと思われ、自尊心が強い無惨にとって、自分がそういう風に見られることは耐えられなかったのです。
”累”に感じていたシンパシー?
下弦の伍である累は、人間の頃病弱でした。
そんな累を無惨さまは鬼にし、その後も様子を見に?再訪しています。
鬼となってからも累は無惨さまの”お気に入り”だったと言われており、那田蜘蛛山でコミュニティをつくるなどの自由な行動を許しています。
人間だった頃の無惨さまも病弱だったので、累に昔の自分を重ねてしまったのかもしれません。累が最初に殺した人間も、無惨さまと同じく医者だった可能性も高いですし。