研究・考察

【研究】産屋敷耀哉(うぶやしきかがや)【97代当主】

藤村さき
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 鬼殺隊を1000年前から統率している産屋敷(うぶやしき)家。

 当主は代々「お館様」と呼ばれ、その97代目が耀哉(かがや)様です。公式年齢は23歳。

 善人・聖人のように描かれていて常に笑顔を保ち、隊士たちの父としていつも皆を暖かく見守っています。

 ”柱”をはじめとする隊士たちからも慕われていますが、ちょっと背景に闇を感じてしまう人物でもあります。

 CVは森川智之(もりかわ・としゆき)さんの担当です。

 以下、最終話までのネタバレ及びファンブックの内容を含み、原画展の内容もごくわずかに含みますので、未読の方はご注意ください。

耀哉様の生い立ち

「お館様」になったのはいつ?

 先代が心を病んで自死してしまったため、 耀哉さまはわずか4歳で「お館様」となりました。

 以来19年間、ずっと97代目当主として産屋敷家と鬼殺隊を支えています。

 卓越した「先見の明」と「1/fゆらぎ」と言われる声を持ち、歴代当主のなかでも統率力はトップレベルです。

家族は?

 産屋敷家では、男児は一人を除いて全員幼いうちに亡くなってしまいます。

 女の子が生まれた場合でも、13歳までには嫁がないと亡くなってしまう、という呪いが産屋敷家にはあるようです。

 耀哉さまにもご兄弟はいらっしゃいましたが、全員男の子だったので、みんな亡くなってしまいました。だから兄弟姉妹は、現在誰もいません。母親も亡くなっており、上述のように父親も幼くして亡くなっています。

しきたり

 男の子は13歳までは女装をして過ごすしきたりです。13歳までに当主を継いだ場合は男装になります。

婚姻

 産屋敷家では代々神職の家系から妻をめとることで、呪いを緩和させています。

 耀哉さまは13歳のときに、17歳の神籬(ひもろぎ)あまね様とお見合い、その後結婚されました(第136話幕間より)。

 「あなたが嫌ならわたしからこの縁談は断る」という耀哉さまの言葉で、あまね様は結婚を決意されたそうです。

 そして医者もびっくりの五つ子(にちか・ひなき・輝利哉・くいな・かなた)が生まれました。

全てはお館様の手のひらの上?

 初登場は第2巻で、炭治郎たちが受けた最終選別の結果を邸で鴉から聞いているシーンです。

 ちなみに、画集『~幾星霜』によると、産屋敷邸は何軒もあるそうです。

最終選別のあり方と目的

 お館様は「(最終選別で)五人も生き残ったのかい、優秀だね」と、”こどもたち”と呼ぶ剣士が増えたことを喜んでいます。

 20人ぐらい死んでるわけですが、そこには全く触れていません。

 後の巻を読むと分かるのですが、お館様は「死」に対して悲しみを抱きません。

 もしかしたら全員死んでしまったわけではないのかもしれませんが、せっかく長期間訓練をした受験者たちが8割以上脱落してしまうのは、あまりに効率悪いですよね。

 ”最終選別”の内容に関しては長い間見直された形跡がないので、少しでも受かるように何かを変えるつもりはないのでしょう。

 もし見直しを考えていたら、のちに柱合会議の議題となる「隊士不足」「隊士の実力不足」に関して、”最終選別”のあり方も議論されたはずですが、そのような描写はありませんでした。

 死んでしまったものの思いを、生きているものが継いでいく。”最終選別”に関しても「生き残ったものの責務」を自覚させようとする意図があるのかもしれません。

 ”最終選別”にまでいたった剣士たちに対して、扱いはある意味公平ですが、厳しいですね。

那田蜘蛛山へ冨岡義勇と胡蝶しのぶを派遣するシーン

 次に登場するのは第4巻で、那田蜘蛛山へ冨岡義勇と胡蝶しのぶを派遣するシーンです。

 先に那田蜘蛛山へ送った隊士たちがほぼ全滅、という鎹鴉の報告を聞いて、そばに控えていた義勇としのぶを向かわせます。

 どうしてここに二人が控えていたのか、というところはさまざまな推測が出来るところです。

 ここで注目すべきは、翌日が「柱合会議」だったというところです。

 ”鬼”の禰豆子を連れた炭治郎と、その炭治郎を禰豆子とともに鬼殺隊へ導いた義勇、”鬼”に理解を示す可能性のあるしのぶ。

 「柱合会議」の前に義勇としのぶに炭治郎と禰豆子のことを説明し、翌日のすりあわせと下準備をしようとしていた、と考えるのも不可能ではないです。

 全てがお館様の手の内、って感じがします。

 でもそうなると”那田蜘蛛山”で炭治郎が死にかけたのは誤算だったのかも?

 そもそもあの任務内容で駆け出しの”癸”が追加派遣されるのもおかしいですよね。

 お館様はもしかしたら、あそこに炭治郎たちが派遣されているのを知らなかったのかもしれません。

 裏設定や闇を感じると、想像がふくらみますね。

第6巻: 柱合裁判・柱合会議のシーン

そして第6巻。柱合裁判・柱合会議のシーンです。

炭治郎はお館様の声を聞いて、「ふわふわする」「不思議な高揚感だ」と感じたようです。

最初これを読んだとき、「暗示」的なものをかけられているのだと思いました。声質による1/fゆらぎの効果だけではないように感じます。

「暗示」に関しては、鱗滝さんも「気休め程度」ですが禰豆子にかけています。

もし「暗示」的なものだとすると、不死川実弥・甘露寺蜜璃・時透無一郎の三人がもっとも強くかかっていますよね。お館様に心酔してる感じがとっても出ています。

特に不死川さんは、初めてお館様に会ったときの回想シーンで、最初は暴言を吐きながら反発していたのに、瞬く間に懐柔されてしまっている様子が描かれています。

宇髄天元・冨岡義勇・胡蝶しのぶはちゃんと従ってはいますが、「心酔する」まではいたっていないようです。

宇髄さんはもと”忍”なので精神面の訓練も受けていそうですし、自分と妻たちのためのビジネスパートナー的な側面も透けてみえるので、単純に人柄だけで従うことはなさそうです。

義勇さんは感情を制御することで強さに変えてきた経緯があるのと、暗示の術を鱗滝さんから習っている可能もあります。

しのぶさんは感情を制御する努力をしているのと、鬼殺隊では心のケアもしているとTV版「無限列車編」で煉獄さんが言っていたので、心理学も学んでいそうです。

悲鳴嶼行冥はお館様について、「欲しいときに欲しい言葉をかけてくれる」という主旨の発言をしています。

悲鳴嶼さんはお館様に助けられたという恩義もあるので、人柄を慕いつつ忠実に従っているという感じですね。

煉獄さんは代々産屋敷家に従ってきたので、その責務と家命は全うするという感じでしょうか。

産屋敷家は代々にわたって人の心を操る術を心得ている、と考えることも出来ます。

関連記事→【考察】「珠世さんによろしく」というセリフ、お館様と珠世さんの関係は?

「死」で終わらない、「思い」が続いていく、という思想

お館様は「死」に対して悲しみを抱きません。

人は死んでも「思い」は続いていき、極楽浄土でまた出会うことも出来るから悲しくない、寂しくない、という考え方を持っています。

お館様の父上、先代のお館様は、傷つき死んでいく隊士たちを憂いて自殺してしまったので、その影響もあって心を強く保ち続けた結果なのかも知れません。

煉獄杏寿郎の訃報を受けたときも、お館様は死んでしまったことを悲しむことはなく、その功績を褒めていました。

鬼舞辻無惨を倒すという目的につながるのなら、隊士や家族、自分の命さえ「歯車のひとつ」に過ぎないのでしょう。

産屋敷家の成り立ちに関する考察

 産屋敷家は、平安時代から続く家柄です。

 その頃から関東地方にいたのなら、身分的には中位~下位の貴族だと考えられます。

 地方をあずかる受領(ずりょう)が、任期を終えてもその地に留まり続けたのが産屋敷家の始まりではないでしょうか(受領は上位の国司と思ってください)。

 受領は上手にやれば合法的に財産を増やせたので、当時から土地などの財産を増やしていったのだと思われます。

 平安時代以降の関東は荘園や武士団の形成という歴史をたどります。有力者は荒れ地や山林を開墾して領土や荘園を広げ、財産を増やし、それらを守るための自警団・武士団を整備する、そして戦国時代へ、というのが時代の流れです。

 産屋敷家が鬼殺隊という武士団を抱えながら勢力範囲を広げていても、目立たなかったのではないでしょうか。

 その後は鬼舞辻無惨の攻勢から身を隠し、歴史の流れに乗りつつ、それでも裏では政財界にしっかりと影響力を持って、現在に至っていると考えられます。

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