【考察】炭治郎を中心とした時系列【大正時代初期】
炭治郎を中心とした、本編(単行本第1巻~第23巻)の時系列の考察です。本編の時代は、「手鬼」との会話から1910年代前半、大正時代初期ということが分かっています。
この記事は原作・公式スピンオフ小説・外伝・公式ファンブックを資料に使い、アニメ版も参考にして作成しています。
結論として、物語のはじまりである竈門家襲撃事件は1912年の可能性が高いと思われます。
全体の時系列を書いた記事はこちら→【研究】『鬼滅の刃』全体の時系列を書いてみた【ネタバレあり】
- 最初に:炭治郎の年齢について
- 炭治郎中心の時系列考察
- X年冬(12月ごろ) 竃門家襲撃事件
- (X+1)年6月 炭治郎は修行中
- (X+1)年12月 「もう教えることはない」
- (X+2)年6月 まだ岩は斬れない
- (X+2)年12月 ついに岩を斬る
- (X+3)年1月ごろ 最終選別
- (X+3)年2月下旬 初任務
- (X+3)年3月中旬~下旬 善逸・伊之助と出会う
- (X+3)年4月下旬ごろ 那田蜘蛛山へ
- (X+3)年4月終わり頃 柱合会議&柱合裁判
- (X+3)年6月ぐらいまで 蝶屋敷滞在
- (X+3)年6月 「無限列車」に乗る
- (X+3)年 秋(9~10月ごろ) 遊郭に潜入
- (X+3)年11月ごろ 刀鍛冶の里へ
- (X+3)年12月 炭治郎の柱稽古期間
- (X+4)年1月 最終決戦
- (X+4)年4月 エンディング
- まとめ
最初に:炭治郎の年齢について
物語の始まり、炭治郎の家族が冬に無惨の襲撃を受けた頃、炭治郎は「13歳」と小説版で書かれています(※満年齢で考えています)。そこから2年間の修行へ。
公式設定では炭治郎は「15歳」ですが、誕生日が7月なので、岩を斬る修行の途中で15歳になり、そのまま15歳のときに”最終選別”に合格。隊士となって1年目の「遊郭編」の頃には16歳になっている計算です。
炭治郎中心の時系列考察
ここでは竃門家襲撃の年をひとまず西暦X年とします。
前提として、「正月」は現代と同じ1月で考えています。大正時代の田舎では「旧正月」の習慣として、2月頃に大きなお祝いや行事を行う地域もまだまだありました。
もし炭治郎の言う正月が旧正月のことだった場合は、修行開始~最終選別~浅草までの間だけ、時系列が短縮されます。
X年冬(12月ごろ) 竃門家襲撃事件
第1巻の最初のシーンでは、雪が降っています。
「正月になったら~」みたいなセリフもあるので、12月ごろじゃないかと思います(※上で書いたように「新暦」で考えています)。
また、炭治郎が「ヒノカミ神楽」を正月に舞った描写もないこと、禰豆子が「お父さんが死んじゃって寂しいのよね」と兄弟を思いやる様子から、父の炭十郎さんが亡くなったのも、この年かもしれません。
冨岡義勇もこの頃既に”水柱”だったことが、日輪刀の”悪鬼滅殺”の文字から分かります。
X=1912とすれば、1912年(大正元年)の出来事になります。
(X+1)年6月 炭治郎は修行中
「禰豆子が目覚めなくなって半年」という記述から。
(X+1)年12月 「もう教えることはない」
狭霧山に来て一年経ち、鱗滝さんから「もう教えることはない」と言われてしまう。以降自主練へ。
公式ファンブックによると、修行の平均期間は1年らしいので、このときの炭治郎ぐらいの実力で”最終選別”に向かう人も多そうです。
(X+2)年6月 まだ岩は斬れない
”最終選別”に行くための試練として課された「岩を斬る」ことがまだまだ出来そうにない炭治郎。焦りをみせる炭治郎の様子からは、かなり精神的に限界を迎えている感じもします。
そんな炭治郎の前に、どこからか錆兎と真菰が現れ、炭治郎の悪いところを指摘し稽古をつけてくれるようになります。
(X+2)年12月 ついに岩を斬る
修行を始めて約2年。この頃になると、顔立ちがかなり精悍になります。そしてついに錆兎の面を斬った炭治郎。岩も斬れていました。
鱗滝さんからも認められ、”最終選別”へ。
(X+3)年1月ごろ 最終選別
「藤の花が咲く時期じゃないのに」という炭治郎のセリフから、春以外の季節。藤の花は4月~6月頃に咲く花だからです。
”最終選別”が年に何回行われているのか分かりませんが、岩を斬ってすぐに参加できたとしたら12月から遅くても2月頃。その次だとすると夏になってしまいます。
今回は、”最終選別”は1月ということで進めます。
”最終選別”では、炭治郎は”手鬼”以外をわりと余裕を持って倒すことが出来たようです。
”手鬼”の発言から時代が特定できる?
また、この頃にはもう大正時代に入っています。大正時代は1912年から1926年の間なので、おおまかに、1912≦X+3≦1926 ですね。そして、”手鬼”が捕まったのは47年前の慶応年間(1865~1868年)です。
1912≦X+3≦1926、1865+47≦X+3≦1868+47、の二つの不等式を満たすXを求めると、1909≦X≦1912となります。
よって”手鬼”が数え間違いをしていなければ、竃門家襲撃事件が起こったX年は、1909年~1912年頃、と考えられます。
さらに言うと、小説版では序盤から大正時代なので、竈門家襲撃事件は1912年(大正元年)の可能性が高いです。
そして主な物語は大正時代初期が舞台だと考えることが出来ます。
(X+3)年2月下旬 初任務
最終選別に7日、その後刀が届くのが15日、でざっくりと計算すると、最終選別に向かってからひと月も経たないうちに初任務となります。
というわけで、初任務は2月下旬です。終わると連続して浅草に向かうよう言われてしまいます。移動時間などで、浅草に着いたときには3月に入っていたかもしれません。
アニメでは、浅草の珠世さんの隠れ家で桜が咲いています。3月初めだと標準的な東京の開花時期より少し早いですが、場所や年度によっては咲いているころです。
(X+3)年3月中旬~下旬 善逸・伊之助と出会う
このあたりは時系列判定がちょっとあいまいです。浅草に行って、その後で鼓屋敷に行くまでが何日ぐらいなのか、はっきりしません。炭治郎の怪我が治っていないので、それほど経っていないと思います。
絵から受けた印象では、なんとなく早春という感じです。
ですので、善逸・伊之助と出会ったのは3月中旬~下旬と考えます。
(X+3)年4月下旬ごろ 那田蜘蛛山へ
藤の花の家紋の家で療養をした期間が、おそらくひと月ほど。肋骨の骨折ということなので、それぐらいはかかったんじゃないかと思います。
ですので、那田蜘蛛山に行ったのは4月下旬頃になります。癸クラスだと月に1~2回ペースで指令が来るんですかね?
このとき、炭治郎たちと同期の栗落花カナヲの階級は既に上から6番目の”己(つちのと)”で、かなりのスピードで出世しているようです。
月の形は当てになる?
那田蜘蛛山のときは満月が何度も描かれているので、それもヒントになりそうです。ただ初任務のときも満月でしたが、その数日後にあたる予定の月の形はおかしかったです。なので月の形だけでは全てが判定できなさそう。
(X+3)年4月終わり頃 柱合会議&柱合裁判
那田蜘蛛山の後すぐに、炭治郎は柱合裁判にかけられてしまいます。そのとき炭治郎は「禰豆子が鬼になったのは二年以上前」と発言しています。
また、鱗滝さんの手紙に「新緑の候」とあり、これは5月に使うとされる時候の挨拶です。ただ、遅くなるほど他の時系列が全てずれてくるので、ここでは4月の終わり頃と判断しておきます。
柱合会議は半年に一度らしいので、4月末と10月末に行われていると予測ができます。夜が短くなってくる前と、夜が長くなってくる前、という感じでしょうか。
(X+3)年6月ぐらいまで 蝶屋敷滞在
善逸が治療のために「3ヶ月間薬を飲み続ける」という記述があります。炭治郎たちは「機能回復訓練」も受けています。
「機能回復訓練」~「全集中・常中訓練」の期間だけ書くと、
- 善逸と伊之助がさぼって炭治郎だけがした機能回復訓練が10日
- 炭治郎の全集中・常中の訓練15日+10日
- 炭治郎が修得したあと、善逸・伊之助が全集中・常中の訓練9日
これだけで既に44日かかっており、その前の休養日数や全集中・常中修得後の訓練、余分にかかった日数を含めると、やはり2ヶ月ぐらいは蝶屋敷に滞在していたと思われます。
ですので、蝶屋敷を出発したのは、はやくても6月ですね。
(X+3)年6月 「無限列車」に乗る
ここまで計算して行った結果、だいたい6月下旬に無限列車に乗りました。
ただ、この辺りはラストに合わせてかなりきつきつに考察してあるので、原作の記述にあわせながらゆったりした考察をすれば、もっとあとでも成立します。その場合ラストまで1年余分にかかりますが。
映画の「無限列車編」公開は10月だったので、本当はここも10月にしたいところです。
X=1912とすれば、1915年の出来事になります。
(X+3)年 秋(9~10月ごろ) 遊郭に潜入
無限列車での煉獄さんとの別れから4ヶ月経過した描写があります。アニメ版では後述する槇寿郎さんの手紙の内容が変更されているので、時系列が少し短縮されているかもしれません。
どちらにしても、アニメ版では紅葉の描写があったことから、秋ごろで間違いないはずです。
原作では蝶屋敷にアジサイっぽいのが咲いていたことと、三人娘が麦藁帽子をかぶっていたのが若干気にはなりますが……。
遊郭編の中盤あたりでは、煉獄槇寿郎から届いた手紙を炭治郎が思い返すシーン(第10巻p.28)があり、そこでも「この四ヶ月千寿郎とも手紙のやりとりを~」と書かれています。
※アニメ版では手紙のやり取りのくだりは「二か月」に変更されています。もし「無限列車編」と「遊郭編」の間が「二か月」なら、最終決戦までの日程にはかなり余裕が出来ます。(2024年2月放送のTV放送特別編集版で「四か月」に修正されていました)
遊郭編での炭治郎たちの階級は「庚(かのえ)」です。10段階あるうちの、7番目の階級になります。
(X+3)年11月ごろ 刀鍛冶の里へ
遊郭潜入期間が不明ですが、おそらく5日ほどで、その後の治療期間は約2ヶ月らしいです。よって、刀鍛冶の里に行ったのは11月頃になります。
松茸ご飯が出たので、やはり季節は秋の可能性が高いです。早ければ夏ごろでも松茸はとれるみたいですけど、どうなんでしょう?
逆にここが秋じゃなければ、時系列を一年増やして考えることが可能です。
刀鍛冶の里には10日ぐらいいたと思われます。その後2週間の眠り、治療と静養、数日間の義勇さんへのつきまといを経て、柱稽古へ。
(X+3)年12月 炭治郎の柱稽古期間
炭治郎が柱稽古に出向いた期間は
- 宇髄のところ:10日
- 時透のところ:5日
- 甘露寺のところ:?日
- 伊黒のところ:4日
- 不死川のところ:1日
- 悲鳴嶼のところ:7日?
- 冨岡のところ:1日?
という感じなので、ひと月ぐらいかかってますね。
関連記事→【研究】”柱稽古”を分析
(X+4)年1月 最終決戦
だいたい1月頃になる計算です。
(X+4)年4月 エンディング
エンディングは、最終決戦から3ヶ月後の桜が満開の季節です。東京で桜が咲くのは3月下旬以降なので、4月上旬ぐらいでしょうか。
X=1912とすると、1916年4月になります。
まとめ
最後を桜の季節にあわせながら当てはめたんですが、ぎりぎりはまりました。
”柱合会議”の鱗滝さんの手紙に「新緑の候」とあること、刀鍛冶の里で「松茸ご飯」が出たのが結構ネックでした。
そして、竃門家襲撃事件が起こったX年は、西暦1909~1912年頃、ということがわかり、物語本編の世界は1910年代であるということがわかりました。
小説版の記述もあわせて、物語のはじまり、竈門家襲撃事件は1912年(大正元年)の可能性が高そうです。
でも、こう見ると、炭治郎が正式に鬼殺隊員だった期間は、ほんの一年ほどになってしまうんですね。しかもそのうち半分くらいは療養中ってことになってしまう。
やはりあちこちいじくって、もう一年ぐらい増やした時系列にしてみると、物語のエピソードやバリエーションも増え、面白いような気がします。数十年後に確実にリメイクされる作品なので、そのときはどうなっているのか楽しみです。その日を楽しみに、みんなで長生きしましょう。