【考察】堕姫は人間のときに既に死んでいたのか?「違う」と思う理由
「遊郭編」第8話放送後、「堕姫は人間のときに既に死んでいたのでは?」という噂がSNSなどで流れています。言い換えると、「堕姫は妓夫太郎が血鬼術で作り出した分身ではないか?」という噂です。
でも、わたしは「違う」と思います。
その最大の理由は、死後の世界でふたりが交わした会話です。
堕姫と妓夫太郎は「一心同体」の特異な鬼ではあるものの、生きた二体の鬼であると考えます。
アニメ版「遊郭編」よりあとの内容を含みますので、原作未読の方はご注意ください。
「梅が死んでいた」とする描写はない
序盤に登場した「沼鬼」をはじめ、「刀鍛冶の里編」にも分裂する鬼が登場します。
見た目や能力も分身ごとに違い、倒し方も「個別に全て倒す」「本体を斬る」など、鬼によって違います。
堕姫と妓夫太郎、両方の頚を同時に斬らないと死なない理由も、「ひとりが分裂しているから」で説明することが出来てしまいます。
堕姫の”帯”の能力も、同じく分裂・分身と考えられるので疑ってしまいます。
ただ、表現やストーリー構成的なものを考えると、「堕姫が妓夫太郎のつくりだした分身」という可能性は低いように思います。
堕姫が妓夫太郎の生み出した分身というのは「兄妹の絆」を描く上で悲しすぎる展開です。
今までの堕姫と妓夫太郎のセリフはすべて、妓夫太郎の生み出したものということになってしまうからです。
もちろんそういうストーリー展開もあり得なくはないです。
しかし「遊郭編」全体の多くを割くふたりのストーリーで、梅が死んでいたと示唆するような個所はほとんどありません。
「死後の世界」で堕姫が梅の姿で現れたことや、無惨さまや童磨が「妓夫太郎が死んだ」としか言ってないことぐらいです。
「梅の姿」で現れたことに関しては、次の項で考察しています。無惨さまや童磨に関しては、堕姫にたいして関心がなかっただけ、と考えることができます。
もし「梅は人間時代に死んでいた」とするなら、吾峠先生ならきっともっとしっかりと描写して、妓夫太郎の深い悲しみや心の闇を読者に伝えてくれたと思います。
だから、梅はやはり生きて鬼になったのだと考えます。
「死後の世界」でのふたりの「会話」からの考察
わたしが「堕姫が人間のときに死んでいなかった」と考える最大の理由は、死後の世界のふたりの会話にあります。
「あの世への入り口」で待っていたふたりの会話
もし堕姫が「梅」のまま死んでいたとしたら、死後の世界の入り口で妓夫太郎をずっと待っていたことになります。
でも「梅」の口から出てきたのは、「ここどこ」という、今この場所に出てきたかのようなセリフでした。
ずっと待っていたのだとしたら、まず「会いたかった」「ずっと待ってた」みたいなセリフになりませんか?
そして、頚を斬られたあとにした兄妹喧嘩のことや戦いのことを、「さっきのこと」として話題に出し、「上手く立ち回れなくてごめんなさい」と謝るでしょうか?
堕姫が既に死んでいた、という意見はいろいろな点で「そうかも」と思わせる部分は多いですが、わたしはこの「ふたりの会話」を見る限り、「やっぱり違う」と考えます。
妓夫太郎と堕姫はたしかに生きて「鬼」になったのだと思います。
「ふたりでひとつ」という能力
「ふたりで最強」「ずっといっしょ」という妓夫太郎と堕姫の思いは、人間時代からのものでした。
その思いに沿うように、「鬼」となってからは本当に「ふたりでひとつ」という能力を手に入れたのだと考えます。
「堕姫」が「梅」の姿で現れた理由
ふたりが「鬼」になった理由は、妓夫太郎は「妹を助けたい」から、梅は「いつまでも妓夫太郎といっしょにいたい」から、です。
また妓夫太郎は世間に恨みを抱いているので、「鬼」として生きることを当然のように思っています。
でも梅の方は、兄といっしょなら別に「鬼」でなくても構わないと思っているでしょう。
このことから、死後の世界では堕姫は生前の姿「梅」として現れたのだと思います。
「梅」は本当に天国にいける可能性があった?
アニメ版「遊郭編」第11話では、堕姫が妓夫太郎に暴言を心から謝罪したあと、堕姫の背後に本当に明かりが差してきました。
堕姫は鬼となってからたくさんの人間を殺しているので、普通に考えたら天国には行けません。他の鬼たちと同じく、そのまま地獄に行くはずです。
でも、もともと鬼になりたくてなったわけではなく、人間時代にも侍を失明させてしまったことを除いては、美貌を武器に上手に立ち回ることでうまく生活できていました。
また謝罪できる素直な心も持っているようです。
侍を簪で突いて失明させてしまった経緯は「妓夫太郎のことを悪く言われた」からだと公式で補足されていますが、梅本人からはいっさい理由が語られていません。
もしかしたら身を守るためや、ずっと我慢していたもののついに限界を超えてしまった、など情状酌量の余地が多くあったのかもしれません。
そして何より妓夫太郎が、妹が焼き殺されそうになったり、鬼にしてしまったのは、自分のせいだと思っています。
妓夫太郎が梅の分まで全ての罪を背負う覚悟があったこと、「一緒にいてはいけない」と思っていたことが、ふたりに違う道が示された大きな理由だと思います。
それらから、堕姫、いや「梅」は本当に天国に行ってやり直せる可能性があったのかもしれません。
与えられた「救済」
でも、梅にとって、大好きな兄と別れてたったひとりで天国に行くことは、きっとつらい道です。
すぐに生まれ変われたとしても、兄とはきっともう会えない。
たったひとりで歩んでいくその世界は、本当に天国なのでしょうか?
ふたりで同じ道を選び進んでいけたことは、もしかしたら救済でもあったのかもしれません。
「幸せとは何か」「天国と地獄の違いは何か」など、たくさんの問いを与えてくれる物語だったと思います。
まとめ
死後の世界でのふたりの会話から、堕姫は人間のまま死んでいたのではなく、たしかに生きて「鬼」となったのだと考えます。
そしてふたりの「兄妹の絆」は本当につよいものだったので、「鬼」となってからも「ずっといっしょ」の存在となったのでしょう。
「ずっといっしょ」という言葉は、序盤で炭治郎が禰豆子にかけた言葉でもあります。
あの日雪山で出会ったのがもし冨岡義勇ではなく童磨だったら、きっと炭治郎は禰豆子と「ずっといっしょ」にいるため、そして人間に戻す方法を探すために、きっと鬼になっていたと思います。
それを感じ取ったからこそ、妓夫太郎も「鬼になれば妹とずっといっしょにいられるぞ」と、炭治郎に誘いをかけたのではないでしょうか。
『鬼滅の刃』は「対比」「繰り返し」の多い作品です。
炭治郎と禰豆子も、何かが少し違えばこうなっていた、そう考えると涙があふれてきます。