【研究】”蟲柱”胡蝶しのぶさん【真面目な努力家】
”蟲柱(むしばしら)”胡蝶しのぶ(こちょう・しのぶ)さん、公式年齢は18歳。実は天然らしいです。
- 誕生日:2月24日
- 年齢:18歳
- 出身地:東京府滝野川村(現・北区滝野川)
- 好きな食べ物:「生姜の佃煮」
- 呼吸:蟲の呼吸(水の呼吸から派生した花の呼吸のさらに派生)
- 階級:蟲柱
CVは早見沙織(はやみ・さおり)さん。
羽織のモチーフになっている蝶は旅する蝶「アサギマダラ」と言われています。”柱”のなかで「唯一鬼の頚を斬れない」しのぶさんは、「藤の花から抽出した毒」で鬼を倒します。
以下、最終巻までの内容と、ファンブックその他の内容を含みますので、未読の方はご注意ください。
胡蝶しのぶさんの略歴
鬼に両親を殺され”鬼殺”の道を志す
しのぶさんは子供のころ鬼に両親を殺され、姉のカナエさんとともに悲鳴嶼行冥さんに助けられました。
その後姉妹そろって”鬼殺”の道を志し、預けられていた親戚のもとを飛び出して、悲鳴嶼さんのもとに「鬼殺隊に入りたい」と頼みに行きます。
このあたりのお話は、公式スピンオフ小説『鬼滅の刃-片羽の蝶』第1話に掲載されています。
修行を始めたのは何歳ぐらいから?
悲鳴嶼さんが鬼殺隊に入ったのは17~18歳の頃で現在27歳、多少は修行もしたと思われるので、悲鳴嶼さんがしのぶさんたちを助けたのは最大でも9年前ぐらいと考えられます。
しのぶさんは現在18歳なので、両親が亡くなったのは9歳以上のとき。しのぶさんとカナエさんの年齢差は3つなので、そのときカナエさんは12歳以上になっていたはずです。
これらから、しのぶさんは10歳前後から、カナエさんは13歳前後から、修行を始めたと推測できます。
また、すくなくとも5年前にはさかのぼると考えられる栗花落カナヲを拾った時点で、カナエさん(16歳ぐらい)はすでに”花柱”になっており、しのぶさん(13歳ぐらい)も隊士になっていたことが、TVアニメ版「立志編」第25話から分かっています。
優しさとともに真面目で強く激しい心を持つ
カナエさんが生きていた頃のしのぶさんは、勝気で男勝りのお転婆、感情を真っ直ぐに表現する女の子、という印象です。作者さんいわく「四角四面」な性格だったそうです。
「四角四面」というのは、非常に真面目で堅い、という意味です。「おかしいことはおかしいとはっきり主張する」ような女の子だったと考えられます。
縫製係の前田さん(通称ゲスメガネ)が破廉恥な隊服を渡してきた際には、泣き叫ぶ前田さんの目の前で隊服を燃やしてしまいました。
「アオイやカナヲにもマッチと油を持たせた」とのちに甘露寺さんに語り、甘露寺さんに「胡蝶印」のマッチを差し出している様子が、映画特典映像でも上映されました。
根本に備わった優しさとともに、この真面目さと意志の強さ・激しさが、しのぶさんのあらゆる行動を説明する本質だと思います。そして同時に危うさ・危なっかしさが感じられます。
刃のない日輪刀を使って毒の打ち込みに特化したのも、自分の実力と能力を冷静に分析した上で、それでも確実に鬼を倒したいと考え努力し続けた真面目さと、心の強さ・激しさゆえと言えます。
カナエさんの死によるしのぶさんの変化
カナエさんが上弦の鬼に殺されてしまってからは、カナエさんの意思を継ぐために本来の自分を封印、カナエさんそっくりの行動をとるようになりました。
悲鳴嶼さんはこのしのぶさんの変化に対して、「カナエの死とともにしのぶも失われてしまった」と感じていました。
常に笑みを絶やさず、誰にでも優しく振舞うよう心がけていたしのぶさん。本来の激しさを封印して、姉の穏やかさを真似ています。ときどき毒舌は出ていますけれども。
伊之助たちにいら立ちを募らせたり怒っているシーンもありますが、ほとんどのシーンで笑みは絶やしていません。笑っていても怒っている、こわい。
関連記事→【考察】屋根の上での炭治郎としのぶさんとの会話シーン【第6巻】
ただ、”水柱”冨岡義勇さんに対してだけは、他の人たちへの接し方と違い、ちょっときつめの毒舌で、あまり気取らず、ぐいぐいと話しかけにいっている印象です。
もしかしたらあれが本来に近いしのぶさんで、義勇さんの前では”しのぶ”を隠しきれない何かがあるのかもしれません。悲鳴嶼さんは会話するふたりを「楽しそう」だと感じていたらしいです。
関連記事→【考察】「ぎゆしの」を考える
「感情の制御」を心がける日々
しのぶさんは後半でも「感情の制御が出来ないのは未熟者」と自分に言い聞かせ、「感情の制御」を常に意識していた様子です。
序盤で唯一「本気で怒っている」と感じたのは、炭治郎と禰豆子が連れてこられた”柱合会議”で、不死川さんが禰豆子の入った箱を勝手に持ち出してきたときです。
”柱合裁判”の流れをしのぶさんは計算済みだった?
このときは笑顔というか表情そのものが無くなっていて、甘露寺さんも「怒っているみたい、珍しいわ」と感想を漏らしています。
不死川さんに箱を奪われた”隠”たちがしのぶさんに謝っていることから、しのぶさんの指示で禰豆子は隠されていたと言えそうです。
しのぶさんは本来あの場に禰豆子を連れだすつもりはなかった、もしくは連れてくるタイミングを計算済みだった、ということが推測できます。
15歳の頃に”蟲柱”に就任?
現在18歳のしのぶさんですが、約3年前に炭治郎が修行を始めた頃、既に”蟲柱”でした。そして、その頃「就任してからまだ日が浅い」とされています。
このあたりは、『鬼滅の刃-外伝』「冨岡義勇外伝」から読み取ることが出来ます。
胡蝶カナエさんが亡くなって14歳で「蝶屋敷を継いだ」ことが、ファンブック弐や本編おまけページで記載されています。
カナエさんが亡くなったときのセリフから、そのときしのぶさんはまだ”柱”ではありませんでした。
14歳で姉を亡くし、それから猛特訓を重ね、一年ほどで”蟲柱”となったことが推測できます。
関連記事→【考察】”柱”になった順番と年齢
「お見送り」をしないしのぶさん
胡蝶しのぶは任務に向かう炭治郎たちに対して、いつも「お見送り」をしていません。
「無限列車」の任務に向かう前の炭治郎に対しては、わざわざ「お見送りはできませんが」と断りを入れています。炭治郎たちが遊郭に向かう前、栗花落カナヲが指令を受けて出発する間際も不在でした。
「刀鍛冶の里編」で伊之助が「蝶屋敷」から単独任務に出るシーンでも、しのぶさんはいません。
「柱」という立場上あえて「見送り」をしていないのかもしれませんが、しのぶさんのこれまでを考えると他の可能性もみえてきます。
治療して任務に復帰した隊士が命を落とすのは「よくあること」で、「行ってらっしゃい」と見送った「継子」が帰ってこなかったことも何度もあったでしょう。
カナエさんが亡くなったときも、「行ってらっしゃい」「気を付けて」と見送ったのかもしれません。
「見送ったらもう帰ってこないかもしれない」という恐怖が、しのぶさんにはあったのではないでしょうか。
でも煉獄さんだけは図らずも「お気をつけて」と見送ってしまった。そして煉獄さんは帰ってこなかった。
煉獄さんの死は、しのぶさんにとって、「死ぬことで鬼を倒す」という決意を確定させる出来事だったと想像できます。
「鬼の頚が斬れない」は本当か?
しのぶさんは自分のことを「柱で唯一鬼の頚が斬れない」と話していますが、本当にそうでしょうか?
わたしは、しのぶさんは普通の日輪刀を持てば、下位の鬼の頚は斬ることができるんじゃないかと思います。
筋力そのものは一般人以上、男性隊士未満
「全集中の呼吸」は極めているはずですし、童磨戦でも女性を抱えて跳躍するなど、それなりに筋力はあると思います。
修行中は素振りなどもやったでしょうし、少なくとも一般人よりははるかに筋力はありますよ。
炭治郎や伊之助でさえ、序盤に出会った父鬼の頚の硬さに苦戦していました。柱稽古の終わった後の村田さんたち一般隊士も、無限城で出会う鬼の頚が硬いと叫んでいました。
一般人より筋力があるとは言え、しのぶさんの基本的な筋力は、訓練した村田さんたち男性隊士よりも弱いのは間違いありません。
悲鳴嶼さんも、修行を始める前のしのぶさんに対する評価は「隊士になったとしてもおそらく鬼の頚が斬れない」というものでした。
しのぶさんは隊士になってかなり早い段階で、自分の限界を悟ってしまったのではないでしょうか。
階級があがるにつれ悟る「自分の限界」
最終選別を突破し、階級が上がり、出会う鬼が強くなっていくにつれて、しのぶさんは自分の筋力の限界「刀を振る力の弱さ」を悟っていったのだと思います。
しのぶさんの日輪刀は刃がなく、突き技によって毒を打ち込むことに特化しています。
いつから鬼殺に毒を使うようになったのかは明らかにされていませんが、しのぶさんは「鬼の頚を斬る」ことを捨て、毒で確実に仕留めることに特化したのです。
「斬れない」可能性が高いなら、普通の日輪刀を使う意味があまりないからです。
使う呼吸も、途中で変えて”蟲の呼吸”にした可能性も高いですね。
しのぶさんは真面目さゆえに、確実さを追求して極端な手段をとってしまう傾向があるのかもしれません。
もし通常タイプの日輪刀を手にすれば、しのぶさんはある程度の強さの鬼の頚なら斬ることが出来ると思います。
他の”柱”たちとの関係
ファンブック弐にある、他の柱たちから見たしのぶさんの印象は「真面目・努力家」というものが多いです。
みんなとも仲良くやっていたようで、甘露寺さんと一番仲が良かったみたい。ハイカラな料理のレシピを教えてもらったりもしていたそうです。
伊黒さんとも体術などの話をしていたみたいです。
宇髄さんとは「遊郭編」でのアオイたち連れ去り未遂事件でもめたらしいですが、これはまあ当然ですよね。
”水柱”冨岡義勇さんとの関係
義勇さんとは「ぎゆしの」として根強い噂がありますが、証拠は全くありません。
せいぜい第5巻の本体表紙で、しのぶさんが冨岡さんをつんつんしながら「ねえ義勇さん」と呼んでいるぐらいです。アニメでは「月が綺麗ですね」としのぶさんが言っていましたが、原作ではこのセリフは姉鬼に対してのみ使用されたセリフです。
「ぎゆしの」については関連記事で考察をしていますので、そちらをご覧ください。
関連記事→【考察】「ぎゆしの」を考える
しのぶさんの髪型は「夜会巻き」
しのぶさんの髪は、下ろすと鎖骨のあたりまでの長さです。これを「ギチギチの夜会巻き」にしているそうですよ。
関連記事→しのぶさんの髪型「夜会巻き」を紹介
まとめ
「蝶屋敷」での高度な医療体制の維持、「毒」を使う新しい鬼殺の方法を生み出したこと、「柱合会議」などでの進行の上手さや機転もきく聡明さ、それらを全てふまえると、しのぶさんはお館様から見ても”柱”のなかで「替えが利かない」存在だと思われます。
しのぶさんの初期の性格や、「鬼の頚が斬れない」という鬼殺隊としては致命的な弱点、”花柱”をしている姉の存在は、もしかしたら同僚隊士たちからは反感を買うものだったかもしれません。
弱点を頭脳で補いながら、実力を高めることで皆を納得させていき、いつしか誰もが認める”蟲柱”となったのだと思います。しのぶさんは自らの価値を、自分の努力でここまで高めてきたのです。
他の柱たちの多くはその過程を知っているはずなので、「真面目・努力家」という評価が複数から出されているのも納得という感じです。