【考察】手鬼はどうして47年も藤襲山で放置されているのか【第1巻にて】
”鬼殺隊士”となるために全員が避けて通れない”藤襲山(ふじかさねやま)”の”最終選別”。そこで炭治郎が出会ったのは、師である鱗滝に恨みを抱く大型の異形の鬼「手鬼」でした。
手鬼は”藤襲山”で47年間も生き抜き、50人以上の子どもたちを食べ、鱗滝の弟子だけでも13人食べています。
これだけの年月、これだけ成長してしまった鬼がどうして放置されたままなのでしょう?
問題視されてなかった可能性が高い
結論としては「問題視されていなかった」と考えます。強さについても「倒せる範囲の鬼」「逃げることも可能な鬼」であったと考えます。
47年間で50人なら年間1~2人の被害
”最終選別”が年に何回開催されているかはっきりわかりませんが、「手鬼」に喰われたのは年間1~2人で、一回あたりにするとせいぜい0~1人の被害です。
のちに登場する「鼓鬼」も「だんだん人が喰えなくなる」と言っていたので、「手鬼」もおそらくそれが食べられる限界値だったのかも知れません。
鱗滝さんの弟子も毎回いたわけではないですし、合格した隊士の多くは”手鬼”と遭遇しなかったはずです。
強い参加者などが現われた場合に備え、手鬼も普段は気配を消して隠れていたのかもしれません。
なので「いることに気づかれてなかった」「問題視されてなかった」という可能性が高いです。
またもし気付いていたとしても、これぐらいの鬼は何とか出来る隊士を育てて欲しい、もしくは強い鬼と遭遇する経験をさせたい、などといった本部の希望もあったのかもしれません。
「厄除の面」をつけていなかったら手鬼に狙われなかったのかどうかわかりませんが、たしかに面が途中で割れた義勇や炭治郎が生き残っているのは興味深いですね。死んでしまった錆兎や真菰の「厄除の面」は割れていません。
実戦ではもっと強い鬼ばかり
「手鬼」はたしかに強かったですが、隊士になってから出会う鬼は、もっと強いように思います。
本編や外伝でも、初任務から異能を持った強い鬼と戦っている人、多いですよね。
実際、炭治郎は錆兎たちの特訓があったとはいえ、二年間の修行で、ほぼひとりでこの「手鬼」に対抗できています。
現在”柱”をやっているような上位の隊士たちは、おそらく”最終選別”時に「手鬼」に遭遇していないはずです。もし遭遇していたら、とっくの昔に手鬼は討伐されていたのではないでしょうか。
特に不死川実弥や時透無一郎などは、手鬼に遭遇していれば何があってもまず逃がさなそうです。
またもっと実力が低い隊士たちでも、複数で協力すれば、討伐して生還できていた可能性も高いです。
錆兎や真菰は、剣技や呼吸法といった実力では合格ラインだったのかも知れません。
でも、手鬼と対峙したときの身体や日輪刀の状態、精神面で冷静さを欠いてしまったことなどが原因で敗れてしまったと考えます。
特に錆兎に関しては、「ひとりでほぼ全ての鬼を倒すという無茶をしたこと」「7日間を生き延びるという最終目標に向かって仲間と力を合わせるという視点が欠けていたこと」が、敗れてしまった最大の原因ではないかと思います。